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安藤広重の「東海道五十三次」は、広重が京に上る幕府の使節一行に随行した際に描いたスケッチをもとに制作した浮世絵です。
「五十三」はどこから?
東海道五十三次は、江戸(幕府)と京都(朝廷)を結ぶ幹線道路として徳川家康によってつくられたものですが、「五十三」という数字は「53の宿場町」があったからではなく、家康公が信仰していた「華厳宗」の説話に従って名づけ、定められたものです。
「53の宿場」は「華厳経」の教えから―
53という宿場数は、「東海道」という旅の幹線道路が誕生した所以にあります。
東海道五十三次ができたのは、「徳川家康が江戸・京都間の人の往来を盛んにし、その拠点となる宿場町の繁栄をはかろうとした」ということは事実です。
その際に、家康公は「華厳経」の中にある「善財童子が53人の人と出会う旅を経て菩薩になった」という説話に従って、この街道の宿場の数を決めました。
東海道の成り立ちは、仏教と深い関係があったのです。
*華厳経は華厳宗の法典。華厳宗は日本仏教の13の宗派の一つで、東大寺が本山です。
*出典:『新佛教辞典』(中村元監修/誠信書房)、『さとりへの遍歴(上・下)』(華厳経入法界/中央公論社) |
安藤広重は寛政九年(1797年)江戸に生まれました。幼くして両親を亡くした広重は、十五歳で画業を志し、十七歳の時、師匠・歌川豊広から「広重」の画号を授かりました。そのため歌川広重ともいわれます。
36歳の時、幕府の「八朔御馬献上」に随行し、初めて「東海道五十三次」を京に上りました。その道中に各宿場の風景を写生したものをもとに、翌天保四年(1833年)に浮世絵『東海道五十三次』を竹内保永堂から出版しました。とくに、庄野宿の『白雨』、蒲原宿の『夜之雪」は浮世絵の風景画の最高傑作と高い評価を受け、一躍、人気浮世絵師の第一人者となりました。
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広重が浮世絵の中に、大名・武土・町人から童子・酌婦とさまざまな人間や雨・雪・風・山・川・海などの自然を描いている理由は、まさに「東海道五十三次」の由来となった善財童子の「菩薩旅」を描いているからにほかなりません。なぜか今まであまり指摘されてこなかったことですが、ここに、広重の「東海週五十三次」の新しい見どころと価値があるのではないでしょうか。善財童子の「菩薩旅」は、「菩薩を求める旅に年令はない」「かわいい子には旅をさせよ」といった格言にも通じ、現代人の生き方にもヒントを与えてくれる話です。
浮世絵集の傑作『東海道五十三次 全55宿セット』をあなたの愛蔵版に
この度、美術出版社では、安藤広重の『東海道五十三次」全五十五宿を忠実に再現した梶川工房版を和紙(クリーム白藤)を使い、美術印刷による復刻版にて発売いたしました。
広重の「東海道五十三次」全五十五宿が完全に揃ったセットは、お家の愛蔵版にふさわしい、価値ある美術品です。この機会にぜひお求めいただき、じっくりとご鑑賞ください。
| 当店では今後、東海道五十三次に関するさまざまな情報を集めて、掲載してまいります。今後ともよろしくお願いいたします。 |
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